手の届く範囲の幸せ

恐れ多くも推しの方にTwitterをフォローバックしていただき相互関係になれているということは、オタク冥利に尽き人生の至福とするのですが、このブログの記事をツイートで共有すると稚拙な駄文を推しに見られるという公開処刑を食らうことになるということに最近気づきました。

ならば共有しなければいいのではという話なのですが、知り合いには見られたくないけど誰とも知らない人になら見られたい・・・というかそういう人には積極的に見てほしいと思っているので中々複雑な感情です。最近はリアリティという配信アプリ界隈の人と仲良くさせていただき、「配信してみたらどうですか?」というお誘いも受けることがあったりするのですが、知り合いには見られたくないという感情から毎回断っていますね。

 

人の人生の責任の話をします。

と言ってもそんなに重たい話ではなく、私は優れた人間でも何でもないので他人の人生までは背負えないという話です。なぜ、こんなことを言い出したのかと言いますと、先述したリアリティで推している配信者の方が、私も誰かまでは存じ上げませんが、とある方に変に言い寄られているといいますか。話を聞く感じだと、その配信者さんに構ってほしいらしく変な絡み方をしていて、その中で自死を仄めかすような発言をしていたりして愚痴・・・とまではいきませんが、どう思います?というお話をされていたからです。

私の周りにも病みやすい方がいて、よく不穏な発言をしているのですが、仮にその人に「死んだらダメだよ。生きていればきっといいことがあるから」と無責任に発言して、その人がその言葉を信用して生きた場合、その後のその人に降りかかるすべての不幸に対してあなたは何かができますか?と考えてしまいます。

そもそも、「いいこと」なんていう曖昧なものはあくまで主観的なものでしかなく、例えば私はトレーディングカードのパックを開封しているときに幸せを感じたりするのですが、すべての人が私と同じようなことをして、幸せを感じるとは限りません。

そんな不確定なことが多い中で自分をなげうってまで誰かに尽くすということは私にはできないので誰かに無責任な発言はしないように心がけていたりします。ですが、だからと言って困っている人の相談に乗らないわけではなくあくまで自分の考えとしたうえでこうやってみるのはいいんじゃない?みたいな言い方をしています。

改めて自分の考えを書き出してみたんですけど、当たり前のことしか書いていませんでした。。。

それでは!