推すこと。推されること。

しばらくブログの記事の更新をしていないことは頭の片隅にあったのですが、よもや新年のご挨拶ぶりだとは思っていませんでした。お久しぶりです。

この半年間にいろいろなことがあったりなかったりしたのですが、機会があればまたお話ししたいと思います。

 

一時期は存在すら忘れていたブログをなぜまた書こうと思ったのかと言いますと、最近少し物事を考える時間がありまして、その時に推しとの関係性・・・と表現すると誤解を招きがちなのですが、活動者とファンの関係性について考えることがありまして、せっかくなら記事にするかと思い立ち、筆をとった次第であります。

さて、そもそも私のオタクとしての矜持と言いますか、スタンスと言いますか、そういうものに「推しに認知されたくない」というものがあります。可能な限り有象無象でありたいです。というのも私自身は褒められた人間ではなく、言動にもやや荒っぽいところがありそういった姿を推しに見られたくなかったり、推しに認知されてしまうとネット上の活動において私の行動に何かしらの変化が起こってしまうかもしれないと考えているからです。要するに推しに見られていると認識していると、まともな人間であろうとする心理が働いてしまってそういった状況は窮屈であると考えています。

業界の大手事務所や大きな個人が相手なら自分の望む立場でいられるのですが、小さな個人勢や大手動画サイトから離れた場所で活動をしている方々を応援するとなるとそうもいきません。活動者は配信を見に来てくれる人の応援で活動を続けられ、ファンは推しの視界の中に自分の姿があると思うとよりその推しを応援したくなる。この好循環が推しの活動を長続きさせる秘訣なのかな・・・と某大手動画サイトを離れてしばらくしてから思いました。

まあ、何が言いたいのかと言いますと、

 

「推しに認知されてる今の環境、超幸せ」

 

ということなんですけども。

ただ距離を見誤ってはいけないと最近は強く思います。そういった意味でも自分のスタンスを忘れずに楽しく推し活を続けていきたいですね。